東日本大震災における直接死者数は,警察庁によれ ば,北海道から神奈川県まで合計 15,893人であり,行方 不明者は2,556人と取りまとめている。 概要を表示 警察庁は7日までに、東日本大震災の発生から 11日で9年となるのを前に、1日時点の被害状況を発表した。この1年で2人の遺体が見つかり、死者は1万5899人。行方不明者は遺体のDNA型鑑定で身元が特定されるなどして4人 東日本大震災における 死者・行方不明者は平成24年9月11日時点で 20,960人1)となっており、過去約70年間においては 圧倒的に大きな被害者を出した大災害であったこと が見てとれる。 死者・行方不明者数(消防庁・警察庁公表資料より) ※平成7年(1995年)兵庫県南部地震の約1400倍の規模 阪神・淡路大震災:死者6,434名、行方不明者 3名 東日本 大震災:死者15,870名、行方不明者2,814名(9月12日現在) 警察庁集計・死者3,373人、行方不明者6,746人で合わせて1万人を超える 22:31 静岡県東部で震度6強の地震。M6.4 3.16 9:30 警察庁集計・死者3,676人、行方不明者7,845人 16:00 警察庁集計・死者3,771人、行方不明者8,181人 (東日本大震災発生時、東京晴海の最大波で 1.3メートル、横須賀、横浜では 1.6メートル、木更津港で2.83メートル、千葉中央港で1.87 今回触れる消防職員とは、各市町村の消防本部に所属する地方公務員です。消防士、消防官などの呼び方がありますが正式名称は「消防吏員」です。なお、本項では後述する消防団員と区別するため、「消防職員」の表記で統一しています。 消防職員は火災現場での消火活動や災害、事故現場での救助活 … 東日本大震災では主に津波による水死で1万5千人を超える戦後最悪の死者を出した。 これらと比べ、当震災では 断層 沿いに被害が集中して被災地域が狭かったものの、冬季の早朝に発生し、自宅で就寝中の者が多かったため、主に圧死で6千人を超える死者を出した。 東日本大震災の概要 東日本大震災の概要 地震名 2011年東北地方太平洋沖地震 発生日時 2011年3月11日14時46分 震源地 三陸沖(牡鹿半島の東南東約130 付近) 震源の深さ 約24 規模 マグニチュード9.0 震度 … 出典:警察庁「東日本大震災による死者の死因 等について」より作成 表-2 宮城県の平成 22年死亡数と東日本大震 災による死者数の比較 年齢階層 平成22年度 死者数(人) 東日本大震災死 者数(人) 0~9歳 70 335 10~19歳 る同年代の割合を超える方々が震災の犠牲となっ ていた。図2は、10歳きざみの各年代ごとの人口 割合(図1の透明の棒)に対する死者の割合(図 1のグレーの棒)の比(グラフ縦軸)を年齢別、 高齢者、障害者と東日本大震災: 遺体の身元特定などで行方不明者は同15人減ったものの、なお2539人に上っている。 2017年3月以降に死亡が最終的に認定されたのは、福島県大熊町の木村汐凪(ゆうな)さん(当時7)と岩手県陸前高田市の男性(同80)。� 東日本 大震災 友達 死は、元治元年(1864)年創業の老舗。江戸千代紙、おもちゃ絵の版元です。江戸の文化を反映した色鮮やかな手摺りの江戸千代紙や、伝統製法の江戸犬張子をお作りしています。 阪神・淡路大震災、警察 東日本大震災及び阪神・淡路大震災における警察の部隊派遣人数 (積算派遣人数) 警察庁「平成24年警察白書」特集第1節21ページ<2012年7月> 02-071-0204 110番通報、警察 110番通報受理状況(2011 東日本大震災被害状況 15,884 行方不明 2,636 東日本大震災から9年半 死者・行方不明者2万2000人超える | 東. 東日本大震災・被災者数(2019年1月10日更新。2 2018年12月. 東日本大震災は、三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震でした。マグニチュードは、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0。これは、日本国内観測史上最大規模、アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震でした。 東日本大震災被害状況 死者15,884人 行方不明2,636人 2013 年夏 :死者 :行方不明者 :避難者 死者・行方不明者 :2013.8.9 現在 避難者:2013.7.4 現在 宮城89,882 福島85,589 岩手 34,847 6067 4757 4919 … 第1-特- 1 図 東日本大震災の男女別・年齢階層別死者数(岩手県・宮城県・福島県) CSVファイル [Excel形式:1KB] なお,平成7年に発生した阪神・淡路大震災における兵庫県の死者数は,女性3,680人,男性2,713人と,女性は男性に比べ約1,000人多く,女性は男性の約1.4倍であった(第1-特-2図)。